2019年6月に公開された実写映画「アラジン」1992年のディズニーアニメ作品のリメイク作品であり、日本での興行収入120億円、世界での興行収入では1000億円を超える大ヒット作品となりました。
公開前には「青いウィル・スミス」としてSNSで話題になったりもしました。私自身はそんな流れを見ていて「大丈夫なのか?」という不安がありましたが、実際に見てみるとそんな不安は一瞬でなくなるほどの名作でした!往年のディズニーの名作映画を現代風にうまくアレンジしており、アニメのカラフルで楽しい世界観と、「自分らしく生きること」という現代のテーマがつまった作品になっていたと思います。
この記事では、実写映画「アラジン」とアニメ「アラジン」の違いをまとめてみました!「どこが違うのか気になる」という方はぜひ読んでみてください。新たな気付きが得られてより映画を楽しめますよ!
実写映画「アラジン」とアニメ版の違い14個
実写映画「アラジン」とアニメ版の違いは、大きく下記のテーマや意向を反映して変更されています。
- 女性の社会進出
- 自分らしく生きるということ
- 刺激が強い・差別的表現の緩和
物語の語り部である行商人の正体
物語の語り部である行商が話す物語としてスタートし、エンディングも行商人のセリフで幕を閉じます。一部のファンの間では指が4本しかない点や、魔法のランプを持っている、英語版の声優がジーニーと同じロビン・ウィリアムスであったことから「行商人の正体はジーニーでは?」と囁かれていました。
しかし、アニメ版ではこの行商人の正体は明確には明かされていませんでした。実写版では、明確に語り部の正体がジーニーであると明らかになっています。
ジーニーと侍女ダリアのロマンス
実写とアニメのもっとも大きな違いは、ジーニーのロマンスがある点です。アニメ版のジーニーはラストでアラジンからランプの魔人としての役割から開放され、自由になるシーンがあります。しかし実写ではこれに加えて、ジャスミンの侍女ダリアとのロマンスがあります。
さらに冒頭では、ジーニーとダリアの間は二人の子どもをもうけていることが明らかになっています。
ジャスミンの母親
実写版でもアニメ版でも、ジャスミンに母親はいません。しかしアニメ版ではその理由が明確に語られていませんでしたが、実写映画ではジャスミンの母が東南アジア出身であり、国に嫁いできた後、殺されてしまったという過去が明らかになっています。そして同時に、父は愛する妻を奪われたショックで、ジャスミンの過保護につながっているという理由付けにもなっています。
アラジンとジャスミンの衣装
アニメ版では、アラジンは上裸にベストを羽織り、ジャスミンはおへそが出た簡易なドレスでした。しかし実写版ではアラジンもジャスミンも、露出度が低くなっています。アラジンの舞台となった中東での気温は昼は40度を超えるため、あまり肌が露出してるとやけどしてしまいますからね。
また、ジャスミンの母が東南アジアの出身であったことから、南部インドの服装文化も取り入れたそうです。
2つ目の願い
「3つの願いを叶えてくれる」魔法のランプのうち、アニメ版では「2つ目の願い」が議論になることもありました。2つ目の願いは、ジャファーによって拘束されたアラジンが海に落とされたシーン。海で意識を失ったアラジンの手がランプに触れ、ジーニーが出てきますがアラジンはすでに意識を失っています。パニクったジーニーがわりと無理やり「自分を助けてほしい」という願いとしてカウントし、海からアラジンを助け出します。
しかしこれはアラジンが明白に願いを言ったわけではないので、願いにカウントされないのでは?という議論もありました。
その点、実写映画ではジーニーが強引に前日の日付の契約書を「命の危険があった場合、その状況から助かることを願う」と書き換えたことで助け出します。
ジャファーが若い!そしてイケメン!
アラジンのヴィランであるジャファーの年齢も変わっていました。アニメ版のジャファーは、アラジンやジャスミンよりも一回り以上は年上に見えます。しかし実写版ではそれよりもずいぶん若くなっていました。
ジャファーを演じたのは、オランダの俳優・コメディアンのマルワン・ケンザリ。出身はオランダですが、家庭はチュニジア系なんだとか。
ジャファーの過去
ジャファーの過去も実写版とアニメ版では大きな違いがあります。アニメ版では、ジャファーの過去は特に語られていませんが、実写映画ではジャファーもアラジンと同じく貧困層の出身で自らの力で、のし上がってきたことを洞窟への道中で語っています。
またアラジンですら気づかないほどのスリの腕前を持っており、終盤のランプを奪うシーンの伏線になっています。アニメではずる賢さが目立ちましたが、実写では野心を抱えてのし上がってきたであろう雰囲気が感じられました。
アラジンの一目惚れ
実写では「女性は飾りではない」ということがメッセージとしていたるところに散りばめられていました。ジャスミンは美しさだけでなく知性と強さを兼ね備えた女性であることも強く描かれています。
そしてそれは、アラジンとジャスミンの出会いにも現れていました。アニメ版では、街に出たジャスミンを見てアラジンはその美しさに見とれています。しかし実写ではとくにそういった場面は描かれていません。
昔のディズニーアニメで描かれている「一目惚れ」も、最近のリメイク作品では「内面に惹かれ合っていく」ことが多くあります。アラジンもその一つと言えます。
ジャスミンの盗みの罰
ジャスミンがお腹を空かせた子どもに、売り物であるりんごを悪気なくあげるシーンもちがいがあります。アニメでは、起こった店主が刃物を抜いてジャスミンの手を切り落とそうとします。しかし実写映画では、ジャスミンの手を荒々しくつかむだけで、刃物を出すことはありませんでした。
さすがに実写で刃物は刺激が強いですからね。。。
ジャスミンの父で王様のサルタンはマスコット的王様からカリスマ的王様に
アニメ版では、ジャスミンの父で国の王様サルタンは、丸っこくて茶目っ気溢れるマスコット的存在として描かれていました。実写版では、どっしりと権威のある王様として描かれていました。
アリ王子のお通りの変更
アラジンがジーニーの魔法によって、アリ王子へと変わりジャスミンの宮殿へと向かうシーン。ここでは豪華絢爛なアリ王子による「アリ王子のお通り」が歌われます。しかしアニメ版と実写版では歌詞が次の通り変更されています。
- 「Brush up your Sunday salaam(素晴らしい挨拶でおもてなしをするんだ!)」「Sunday Salaam」→「Friday Salaam」イスラム文化の祝日が金曜日であることから。
- 「He’s got slaves, he’s got servants and flunkies(彼は、奴隷と召使いと使用人を所有してるの)」→「He’s got thousand servants and flunkies(何千もの召使や人足が彼に仕える)」
奴隷部分が削除されています。
ジャスミンがアラジンの正体に気づくきっかけ
アニメ版ではジャスミンがアリ王子の帽子を取ったことで、アラジンの正体に気づき始めます。しかし実写版では、誰が見てもアラジンのことをアリ王子だと思うように、ジーニーの魔法がかけられているため、アニメ版ほど容易に気づきません。
新曲「スピーチレス」は往年の名曲に負けない素晴らしさ
アラジンには「ホール・ニュー・ワールド」など往年の名曲がありますが、実写版では新たにジャスミンが歌う「スピーチレス」が追加されました。
アニメ版ではジャスミンのソロ曲がないため、実写版での初のジャスミンのソロ曲となります。これは「ホール・ニュー・ワールド」を作曲したアラン・メンケンと「ラ・ラ・ランド」の作詞家ベンジ・パセク、ジャスティン・ポールとの共作です。
歌の内容をざっくり解説すると、まさに実写版のテーマとなっている「女性の社会進出」であり、どれだけ虐げられ裏切られても今までのように黙って我慢をするのではなく、自分たちの意見を声をあげていこうというもの。
これはアニメ版でジャファーがジャスミンに結婚を強いたシーンが元になったんだとか。作詞を担当したベンジ・パセク、ジャスティン・ポールによると、ショックで声も出せないジャスミンに対しジャファーが言った「喜びで声も出ないようですな」という一言が着想になったんだそうです。
ジャスミンが国王に!
ここもアニメ版と実写版で大きく異なる点です。アニメ版ではラストはジャスミンの父サルタンがアラジンを時期王として認めていましたが、実写版ではジャスミンが初の女性国王になっていました。
ジャスミンは当初から、父親に国王になりたいと伝えていましたが、「女性の国王は今までいなかった」として相手にされません。しかし最後には、知性と勇気を讃えられ、国王として認められます。これは、女性の社会進出や男女平等が求められている現代の時代性を反映させたものと言えるでしょう。
まとめ
実写映画とアニメ版「アラジン」の違いを解説しました。実写映画はより現代の時代性にあわせて女性の社会進出や男女平等が強く押し出されていました。また差別的な表現や刺激的な表現は緩和されていました。
どちらも映画としてとても素晴らしい作品なので、ぜひ見比べてみてください。新たな気づきもあるかもしれませんよ!
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